もっと強いチームで監督をやりたかった

開幕を前に元千葉ロッテで監督をされたこともある近藤昭仁さんが亡くなられたニュースが飛び込んできました。バレンタイン監督から江尻監督になり、成績が上がらず、広岡GM体制が崩壊した後のバタバタで弱い時代の(今も弱いですが)マリーンズを支えて下さった近藤さん。2年連続最下位に終わり、退団の記者会見で「もっと強いチームで監督をやりたかった」と言われたことが印象に残ています。ご冥福をお祈りします。

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近藤昭仁さん死去=プロ野球元横浜、ロッテ監督-80歳

近藤昭仁氏
元プロ野球大洋(のち横浜、現DeNA)の内野手で横浜、ロッテで監督を務めた近藤昭仁(こんどう・あきひと)さんが27日午前1時23分、敗血症性ショックのため川崎市の病院で死去した。80歳だった。香川県出身。葬儀・告別式は4月1日正午から横浜市鶴見区鶴見2の1の1の総持寺三松閣で。喪主は妻由紀子(ゆきこ)さん。
高松一高、早大を経て1960年に大洋入団。同年に新人ながら二塁手として活躍し、球団初のセ・リーグ優勝に貢献。大毎(現ロッテ)との日本シリーズでは最優秀選手(MVP)に輝いた。その後も主力としてプレーし、62、65年にはオールスターゲームに出場した。実働14年で1619試合に出場し、打率2割4分3厘、65本塁打、360打点。
引退後は大洋、西武、巨人などでコーチを歴任。93~95年に横浜で監督を務め、ロッテ監督2年目の98年6~7月にはプロ野球最長の18連敗(1分けを挟む)を喫した。
(出典:時事通信)

ロッテ福浦「今の僕はなかった」恩師・近藤さん悼む

ロッテ福浦和也内野手兼2軍打撃コーチ(43)が恩師の死を悼んだ。

横浜ベイスターズの初代監督で、ロッテでも97、98年に指揮を執った近藤昭仁氏が27日、亡くなった。福浦は同監督に目をかけられ、97年に1軍初昇格。「近藤さんが監督じゃなかったら今の僕はなかった」と感謝は尽きない。

この日、ロッテ浦和球場で訃報に対し「本当に残念。それしかない。初めて1軍に上げてくれた監督だし、背番号を9に変えてくれた監督。18連敗とか、苦い思い出もありましたけど、やっぱり寂しいですね。僕はまだ若かったですし、かわいがってもらったって言ったらおかしいけど(試合で)使ってもらってありがたかった。18連敗だって、誰もしたいと思ってやってるわけじゃない。勝てなかった悔しさは今も忘れないし、本当、申し訳ないなという気持ちが大きいです」と、沈痛な面持ちを浮かべた。
(出典:日刊スポーツ)

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